『日本茶』や『茶道』、『茶の湯』というとどこか堅苦しいイメージを持たれる方も多いかと思います。
『能』や『歌舞伎』などにも同じような同じようなことが言えるのかもしれません。
これらの所謂、”日本独自の文化”はしばしば「伝統」という言葉を使って語られます。
この「伝統」という言葉を使うとそれなりの説明がつくような感じがしますが、
どこか「現代」と対立してしまう構造を作ってしまい、「伝統」とは"過去のもの"という印象になりがちです。
これが、"堅苦しさ"のイメージを作っているのかもしれません。
「伝統」とは、止まって形を守られているものではなく、過去から「現代」へ営々繋がっている事を表します。
かつてユネスコの無形文化遺産の第一回に『能楽』が認定された時、
能楽界の一部の人達からは
「遺産というのはすでに命の終わりを迎えたもの、あとはただ守られるだけのもの」
「能は今も生き続けている芸能だから"遺産"とは呼ばれたくない」
という意見も上がったんだそうです。
「伝統」という言葉の成り立ちは、
伝えて、統(す)べる
という意味になります。
統べるというのは、
糸をつむいで、撚り合せて1本にまとめる。
というイメージを持ちます。
現代ではお茶、茶道を「伝統文化…伝統的な製法…伝統的な作法で…」と言われる事が多いですが、
例えば、千利休が「お茶は伝統文化です」などとはもちろん言いませんし、
江戸時代の人々が「お茶は伝統だ」とは考えていなかったでしょう。
今日使われているイメージの「伝統」は明治時代に政府が新しい文化と古い文化を区別する為に作られた言葉だとも考えられています。
しかし、それ以前に「伝統」という概念がなかったかというと、そうでもなく、「伝燈」という言葉が使われていました。
「伝燈」とは燈火、燈明のことで、仏教からきている言葉なのです。
明治時代は廃仏棄釈の時代であった為、仏教色の強い、「伝燈」から「伝統」という文字に変わったのだとされています。
なので、現代で使われている「伝統」という言葉の本質は「伝燈」という言葉にあります。
その昔、お釈迦様が亡くなられる時、弟子たちはお釈迦様に、
「我々は明日から何を拠り所に生きていけばいいのですか?」 と問いました。
すると、お釈迦様は、自燈明、法燈明ー
「仏の真理や教えを志す自分の心の拠り所、私の問いた教えを燈火としなさい」
と言い、
それ以降、仏教では、 師から弟子に教えを伝える事を「伝燈」、教えの記録を「伝燈録」と言います。
その「伝燈」を象徴しているものとして、
比叡山延暦寺には「不滅の法燈」という、最澄が比叡山延暦寺を開山した時に燈して以来、
約1200年間一度も消えていない燈(ともし火)があります。
この燈には、仏の教えを未来永劫、迷いという闇を照らし、人を導きますようにという願いが込められています。
もちろん火なので、うっかり油を注ぎ忘れたら消えてしまいます。
文字通りの「油断」ですね。
このように、
「伝統」の本質は「型にはまった、昔っから変わらない…」
という意味ではなく、
常に新しい油を注ぎ足して守り、伝えていく事が必要だ。
という事なのです。
伝統文化とされるお茶の世界だけでなく、能や歌舞伎、落語などもその歴史を振り返れば、 時代の節目節目で破壊的イノベーションを幾度となく繰り返した歴史があります。
そう考えると、一見古臭く見える伝統文化の見方も変わってくると思います。
0コメント