玉露の歴史について


今朝、少し目覚めが悪く…朝から贅沢をして玉露を飲みました^^


やっぱ玉露いいですね〜

あの、格別のまろやかさ、風味…。朝から玉露…う〜む、贅沢の極み( ´ ω ` )♪



玉露は、他の種類のお茶に比べてカフェインの含有量が特に多いので眠気覚ましにも最適です!

たぶん後4-5gくらいしか残ってない(°_°)




最近、お茶の健康効果的な内容ばかりだったので、

今日は、玉露の歴史についてのお話をさせて頂きたいと思います!



【玉露の栽培方法】

玉露は煎茶とは違い、「被覆栽培」といわれる方法で栽培されます。


被覆栽培とは、摘み取りの20日ほど前に、よしず、藁、化学繊維の寒冷紗などで茶園を覆う方法です。

こんな感じ😯



こうして、直射日光を遮る事で甘み成分のテアニン(アミノ酸)の含有量を増えます^^


そうする事で、玉露特有の甘みのある味の茶葉に仕上がります!



また、玉露に似た栽培方法で作られるお茶に、かぶせ茶(冠茶)というお茶があります!


かぶせ茶も栽培方法は玉露と同じ被覆栽培ですが、被覆期間は玉露より短い1週間前後です。



収量が限られる玉露の代わりに、被覆期間を短くして収量を多く確保できるように工夫されて考えられたのが始まりと言われています。


味は、煎茶と玉露のちょうど中間のような味です( ´ ▽ ` )ノ



玉露よりは比較的安価で売っているので、お茶屋さんに行っても「玉露にはなかなか手が出ない…」という方はこのかぶせ茶を選んでみるのもいいかもしれませんね^^




【玉露の歴史】

玉露は1835年に、江戸日本橋の茶商、山本山の6代目・山本嘉兵衛によって発明されました!


ちなみに、煎茶が発明されたのは、1738年で、玉露の約100年も前なんですね!!


煎茶が発明される前までに庶民が飲んでいたお茶は、古葉や若葉を残らず摘んで熱湯で湯がいた後、日干乾燥させた粗雑なもので、今の番茶よりも下級のお茶だったみたいです。。。



煎茶は、宇治の永谷宗円が碾茶(茶臼で引く前の抹茶の原料)の製法を応用して作った蒸し製の煎茶がとても美味しいと評判になり「青製煎茶」と呼ばれました。


永谷宗円はこれを持って山本嘉兵衛のところへ出向き、試売を請うとたちまち評判になりました!



それから約100年後、、、


天保6年(1835年)6代目 山本嘉兵衛は、宇治の焙炉にいました。

そこでは、碾茶製造を行っており、その時ちょうど、

蒸した茶葉を炉の上で攪拌させて乾燥させる工程の真っ最中でした。


焙炉師が乾燥の工程の時に使っている「さらえ」という熊手のような道具を使わず、

彼は素手で茶葉を持ち撹拌させようとしました😦


しかし、上手く碾茶にならずに団子のように丸く固まってしまいました😭😭


この時の様子は『茶業通鑑』という古書に記されているようです。



山本嘉兵衛はその失敗作を東京に持ち帰り、

改良を加えたのち、「玉の露」(たまのつゆ)と名前をつけて販売しました。


「玉の露」は従来の煎茶とは違う独特な甘みを持っており、たちまち評判となりました!

これが「玉露」の始まりと言われております。



煎茶も玉露も碾茶製法が元になっているというわけですね!




ちなみに、清寿園の玉露は、こちらの3種類。


鳳 凰 100g ¥3240

玉 翠 100g ¥2160

玉 鳳 100g ¥1650


休日などにゆっくりと過ごす、少し贅沢な和のティータイムや、贈り物としてもご利用いただいております^^



お茶の清寿園

日本茶には喉の渇きを潤すだけでなく、味わい深いうま味や香りが詰まっており、飲むと心を穏やかに潤す力があります。 清寿園では一人でも多くの人に、日本茶の美味しさ、愉しさ、奥深さを伝えると共に、千利休が作り上げた「詫び茶」の世界観を象徴する「市中山居」という言葉のように、お茶を飲むことで、たとえ街の喧騒の中にいても心が落ち着き、山の中にいるような静けさをご提供できるよう、日々精進していきたい

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