お茶の産地 〜都道府県別生産量TOP10〜これまで以外と触れていなかったお茶の産地についてです!ランキング形式で発表していきます( ´ ▽ ` )ノ【10位】愛知県西尾市を中心として生産される碾茶は国内屈指の生産量を誇る。また、1月下旬の寒中に茶葉を刈り、蒸した後乾燥した足助寒茶や新城市の煎茶、新城茶が有名。【9位】熊本県産地は中山間地域や人吉球磨地方を中心に県下全域に広がっている。煎茶(55%)、玉緑茶(35%)が生産量を二分している。釜炒り製玉緑茶は青柳茶で知られている。【8位】佐賀県栄西禅師が背振山麓に茶の種子を巻いたのが始まりとされ歴史は古い。約35%が玉緑茶で、その殆どが蒸し製玉緑茶。【7位】奈良県大和高原一帯の山間地で生産され、優良な茶は大和茶として有名。【6位...22Oct2017お茶の歴史
日本茶輸出貿易の先駆者 〜女性商人 大浦 慶〜今日は、久しぶりのお茶の歴史について、、、日本茶輸出貿易の先駆者 大浦慶大浦慶は、日本茶輸出貿易の先駆者と言われる、江戸時代末期、幕末から明治にかけての女性商人で、ペリー来航の年の嘉永6年(1853年)、大浦慶は日本が開国すれば、海外相手に本格的な貿易が始まり、緑茶の輸出もされる。緑茶を知り合いのオランダ商人を介して欧米に紹介したら売れるのではないか!?と時代の流れを読み、後年、東インド会社の重役にもなったオランダ人のテキストルに嬉野茶を見本を預け、イギリス、アメリカ、アラビアの3ヶ国へお茶のサンプルを渡しました。それから3年後、開国後の安政3年(1856年)にイギリスの商人、W・J・オールトが来航しました。そこで、テキストルに託し...06Sep2017お茶の歴史
お茶の伝統製法 手揉み茶についてお茶の製造は現在、製茶機と言われる機会製法が殆どですが、明治後期に製茶機が発明される前までは、手揉み製法が一般的でした。手揉み茶の製造は、数百グラム作るのに4〜6時間もかかり、大変な重労働であることもあって、後継者が不足しています。そのため、希少価値は高まる傾向にあり、今年の新茶の初取引では、単価としては史上最高値の1キロ108万円の値が付き話題になりました😳!!23Aug2017お茶の歴史その他のトピックス
昭和初期から現代 〜喫茶文化の変容〜先日のブログ、『明治から昭和初期〜茶生産の拡大と輸出〜(後編)』の続きです😊明治時代に日本茶の輸出が盛んになり、1905年(明治38年)、静岡の清水港からの輸出が始まりました!ここまでが、前回の内容です。その後、太平洋戦争に突入すると、食糧増産で茶園が麦などの生産に振り返られたり、労働力不足によって生産力が低下したことが原因で、緑茶、紅茶共に輸出量が激減しましたが、戦後、1951年のサンフランシスコ講和会議によって独立を果たすと民間貿易が認められ、緑茶、紅茶が中東やアフリカへ大量に輸出されるようになりました。また、景気が上向きになると国内需要も高まり、茶の生産量は1975年(昭和50)にピークを迎えました( ´ ▽ ` )ノ(この...27Jul2017お茶の歴史
明治から昭和初期〜茶生産の拡大と輸出〜(後編)昨日の(『明治から昭和初期〜茶生産の拡大と輸出〜(前編)』)の続きです!〜前回のおさらい〜「贋茶輸入禁止条例」がアメリカで制定された翌年、日本は「茶業組合準則」を制定し、茶生産者に組合加入を義務付けました!そして、不正茶の製造を禁止して、各地に取締所を設置しました! これによって全国で一斉に茶業組合が結成されました٩( 'ω' )وその後、茶業が盛んな地域から茶業史が刊行され、地域の茶業の歴史や生産・取引の実態を知る上で貴重な文献になりました!お茶の重要性が認識されると共に、政府は茶業そのものに対する研究・指導の拠点として1896年に製茶試験所を設置。これが、現在の国立研究開発法人農業・食品産業技術研究機構(農...24Jul2017お茶の歴史
明治から昭和初期〜茶生産の拡大と輸出〜(前編)1853年のペリー来航により、日本の茶産業は大きな影響を受けることになりました!ペリーが開港を迫った目的は、北太平洋における捕鯨の補給基地を確保する為だったと言われています。しかし、実際に日本との交易が始まると、生糸とお茶が最大の輸出品になりました!お茶の輸出拠点になったのは横浜港でした。開港に伴い、外国商館に建設地が割り当てられ多くの西洋建築が立ち並びました。日本の茶商も横浜に出店を開いてお茶の売り込みを図りました^^各産地から横浜に集められた荒茶は、波止場近くに設けられた再製工場で火入れされ積み出され、その工場は「お茶場」と呼ばれました!!23Jul2017お茶の歴史
江戸時代の茶文化〜煎茶の登場と発展〜昨日の記事『利休の後継者たち』は安土桃山時代のお話。今日の内容は、江戸時代です。千利休が大成させた茶の湯は、家元制度の確立により武家や町人によって支えられていきました。江戸時代の茶人として有名なのが、松江藩主の松平不昧(ふまい)、彦根藩主の井伊直弼。各地の城下町においても茶の湯が流行し、それに伴い、茶会で使われる菓子なども多く作られ、この頃に多くの伝統文化が形成されていきました^^その一方、煎茶を好む文人たちによって抹茶に拘らない新しい茶文化も発展していきました。江戸時代初期、日本の茶文化に新しい要素加えたのが、黄檗宗(おうばくそう)を伝えた隠元(いんげん)です。21Jul2017お茶の歴史
利休の後継者たち少し前のブログ(「千利休の生涯と『利休七則』 〜前編〜」「後編」)で利休に生涯ついてのお話をさせて頂きました。今回は、「利休の後継者」についてお話していこうと思います٩( 'ω' )و利休の死後、千家は利休の孫の宗旦の息子3人によって、表千家・裏千家・武者小路千家の3系統に別れました。表千家には不審庵(ふしんあん)、裏千家には(こんにちあん)、武者小路千家には(かんきゅうあん)という代表的な茶室があり、それぞれの流派の象徴になっています。また、利休の高弟七人は「利休七哲(りきゅうしちてつ)」と呼ばれました。その中の1人、大名茶人の古田織部(重然)は、利休の茶道を継承しつつも、自由で独特の美意識を発揮して武家風の茶道を発展させ、茶器製...20Jul2017お茶の歴史
日本でお茶が飲まれるようになったのはいつ?前々回のブログ(「 茶の歴史〜世界最古のお茶は2100年前!?〜」)でお話させて頂いたように、お茶のルーツが中国西南部であることが分かっていますが、今回は、「日本でお茶が飲まれるようになったのはいつ?」ということをお話していきたいと思います٩( 'ω' )و19Jul2017お茶の歴史
茶の歴史〜世界最古のお茶は2100年前!?〜今からちょうど程一年前に、中国の陝西省西安市で発掘された茶葉が、世界最古の茶葉であるとギネス世界記録に認定されました!これが見つかったのは、中国・西安の近くにあるお墓で、中国の科学者たちによる研究チームが、お墓の中で小さな植物の固まりを発見して分析したところ、2100年前の紀元前1世紀ごろに摘み取られたお茶の葉だと判明したそうです😳⬇︎それがこちら16Jul2017お茶の歴史
千利休の生涯と『利休七則』 〜後編〜昨日の「千利休の生涯と『利休七則』 〜前編〜」の続編です!天下統一を果たし、北野大茶湯も成功させた秀吉。利休は秀吉の絶大な信頼を得て、茶人としてのキャリアも順風満帆。しかし、秀吉は貿易の利益を独占する為に、堺に対し税を重くするなどして様々な圧力を加え始めました。そして次第に秀吉は、堺の権益を守ろうとする利休を煩わしく感じるようになりました。。。その時期に秀吉はこんな事も、、、秀吉が小田原で北条氏を攻略した際に、利休の愛弟子・山上宗二が、秀吉への口の利き方が悪いとされ、その日のうちに処刑されました。しかも、耳と鼻を剥ぐというかなり残忍な処刑だったみたい。。。そして決定的だったのが、茶の湯に関する思想的対立。秀吉の茶室といえば、16Jun2017お茶の歴史