昨日の(『明治から昭和初期〜茶生産の拡大と輸出〜(前編)』)の続きです!
〜前回のおさらい〜
「贋茶輸入禁止条例」がアメリカで制定された翌年、
日本は「茶業組合準則」を制定し、茶生産者に組合加入を義務付けました!
そして、不正茶の製造を禁止して、各地に取締所を設置しました!
これによって全国で一斉に茶業組合が結成されました٩( 'ω' )و
その後、茶業が盛んな地域から茶業史が刊行され、
地域の茶業の歴史や生産・取引の実態を知る上で貴重な文献になりました!
お茶の重要性が認識されると共に、
政府は茶業そのものに対する研究・指導の拠点として1896年に製茶試験所を設置。
これが、現在の国立研究開発法人農業・食品産業技術研究機構(農研機構)となりました!
この頃になると、育種技術の開発が盛んになり、
静岡県の杉山彦三郎はチャにも早・中・晩生の性質があることを知り、
挿し木法や取り木法の研究をして、茶の最優良品種「やぶきた」を開発しました( ´ ▽ ` )ノ
「やぶきた」は当時、あまり普及しなかったようですが、
次第に品質が評価されるようになり、
戦後になると、現在のように品種化茶園の大部分を占めるようになりました!!
明治末期になると、
それまで、横浜・神戸・長崎からしか輸出が許されていなかったが、
静岡県の茶業関係者から最寄りの清水港から輸出する為の運動が盛んになりました。
1905年(明治38年)に海野孝三郎らが中心になって再製工場を誘致して、
翌年の1906年に、初めて静岡港からお茶の輸出が行われましたヽ(´▽`)/
ちなみに、輸出されるお茶の包装や木箱には、
日本茶であることを表す木版画のラベルが貼られていました。
このラベルは「蘭字」と呼ばれ、
江戸時代の浮世絵の画風で、アルファベットでお茶の銘柄や産地の名前が書かれていました(*´-`)
日本近代のグラフィックデザインの先駆けとも言われているみたいです😛
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