昭和初期から現代 〜喫茶文化の変容〜

先日のブログ、明治から昭和初期〜茶生産の拡大と輸出〜(後編)の続きです😊


明治時代に日本茶の輸出が盛んになり、

1905年(明治38年)、静岡の清水港からの輸出が始まりました!


ここまでが、前回の内容です。



その後、太平洋戦争に突入すると、

食糧増産で茶園が麦などの生産に振り返られたり、

労働力不足によって生産力が低下したことが原因で、


緑茶、紅茶共に輸出量が激減しましたが、


戦後、1951年のサンフランシスコ講和会議によって独立を果たすと民間貿易が認められ、

緑茶、紅茶が中東やアフリカへ大量に輸出されるようになりました。


また、景気が上向きになると国内需要も高まり、

茶の生産量は1975年(昭和50)にピークを迎えました( ´ ▽ ` )ノ


(この年の荒茶生産量は10万トン以上!!)



しかし、1980年代に入ると、缶の緑茶製品が発売されるようになり、

90年代には、ペットボトルが販売されるようになるなど、


日本茶を取り巻く環境が時代によって変わっていきました!


そして、現代に至る…



ペットボトルのお茶は利便性も良く時代に合っている感はありますが、


やっぱり急須で淹れたお茶の方が、味も香りも段違いにいいので、


休日など、余暇を楽しむにはペットボトルのお茶ではなく、

急須でじっくり淹れたお茶がいいですね🍵(*´ω`*)



それについての詳しいお話はこちら⬇︎

過去記事:『やっぱりペットボトルより急須だね!!ってお話』



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お茶の清寿園

日本茶には喉の渇きを潤すだけでなく、味わい深いうま味や香りが詰まっており、飲むと心を穏やかに潤す力があります。 清寿園では一人でも多くの人に、日本茶の美味しさ、愉しさ、奥深さを伝えると共に、千利休が作り上げた「詫び茶」の世界観を象徴する「市中山居」という言葉のように、お茶を飲むことで、たとえ街の喧騒の中にいても心が落ち着き、山の中にいるような静けさをご提供できるよう、日々精進していきたい

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