千利休の生涯と『利休七則』 〜後編〜


昨日の「千利休の生涯と『利休七則』 〜前編〜」の続編です!



天下統一を果たし、北野大茶湯も成功させた秀吉。


利休は秀吉の絶大な信頼を得て、茶人としてのキャリアも順風満帆。




しかし、


秀吉は貿易の利益を独占する為に、

堺に対し税を重くするなどして様々な圧力を加え始めました。



そして次第に秀吉は、

堺の権益を守ろうとする利休を煩わしく感じるようになりました。。。




その時期に秀吉はこんな事も、、、


秀吉が小田原で北条氏を攻略した際に、

利休の愛弟子・山上宗二が、秀吉への口の利き方が悪いとされ、


その日のうちに処刑されました。



しかも、耳と鼻を剥ぐというかなり残忍な処刑だったみたい。。。




そして決定的だったのが、

茶の湯に関する思想的対立。



秀吉の茶室といえば、

この有名な超ド派手な黄金の茶室!!




一方、利休の茶室はこちら



随分と質素ですね。



この茶室、なんと2畳!!



外観はこんな感じ。


狭い造りになっているのが分かりやすい。






利休の思想は、侘び茶の祖で、

利休が18歳の時に門を叩いた武野紹鴎の師匠である村田珠光の精神が元になっています。



ちなみに、村田珠光はあの一休さんの弟子です^^



珠光は、人間としての成長を茶の湯の目的とし、

茶会の儀式的な形よりも、茶と向き合う者の精神を重視しました。



また、「不足の美」(不完全だからこそ美しい)禅思想を採り込み、

高価な名物茶碗を盲目的に有り難がるのではなく、


日常生活で使っている雑器を茶会に用いて茶の湯の簡素化に努めました。



利休の茶室は、

この美意識を象徴した作りになっています。




この茶室は2人の思想の違いを象徴しているようですね。




そして、1591年1月ある茶会で利休は、


派手好みの秀吉が黒を嫌うことを知りながら

「黒は古き心なり」と平然と黒楽茶碗に茶を点て秀吉に出しました。



他の家臣を前に、秀吉はメンツが潰れ。。。



⬆︎黒樂茶碗 銘『俊寛』



この一件で、秀吉の逆鱗に触れてしまいます😫




2月23日、

利休は秀吉から「京都を出て堺にて自宅謹慎せよ!」と命令を受けました。



秀吉は利休に赦しを請いに来させて、上下関係をハッキリ分からせようと思っていました。



当時、秀吉の家臣だった前田利家は利休のもとへ使者を送り、


秀吉の妻、或いは母を通じて詫びれば今回の件は許されるだろうと助言しましたが、



利休はこれを断ります。



権力の道具としての茶の湯は、
「侘び茶」の開祖・村田珠光も、師匠の武野紹鴎も、絶対に否定したはず!



秀吉に頭を下げるのは先輩茶人だけでなく、

茶の湯そのものも侮辱することになる!!



利休が謝罪に来ず、そのまま堺へ行ってしまったことに秀吉の怒りはMAXに…😤😤😤



2月25日、秀吉は利休の像を京都一条戻橋のたもとで磔に。


そして、翌日、秀吉は利休を堺から京に呼び戻しました。


これはまずいと、利休の弟子たちが利休を救う為に奔走します。


しかし、28日。

利休のもとを秀吉の使者が訪ねました。


この使者は利休の首を持って帰るのが任務でした。


秀吉は利休に「切腹せよ!」という命令を出したのです。



利休は「茶室にて茶の支度が出来ております」と言い、


使者に最後の茶を点てた後、切腹しました。



利休は天下人の秀吉に切腹を命じられても、一歩も己の美学を譲りませんでした。





晩年の秀吉は、短気が起こした利休への仕打ちを後悔したらしく、

利休と同じ作法で食事を摂ったり、利休が好む枯れた茶室を建てさせたといいます。




『利休七則』


最後に、個人的にとても好きな

『利休七則』という利休の教えをご紹介させて頂きます。



弟子に「茶の湯の神髄とは何ですか??」と聞かれた時、


利休は次のように答えました。


「茶は服の良き様に点て、炭は湯の沸く様に置き、冬は暖かに夏は涼しく、花は野の花の様に生け、刻限は早めに、降らずとも雨の用意、相客に心せよ」



①「茶は服の良き様に点て、」

茶は飲む人にとって飲みやすい温度、タイミングで点てる。


②「炭は湯の沸く様に置き、」

良い茶を出す為にはお湯を沸かす準備作業でさえ手を抜くな。


③「冬は暖かに夏は涼しく、」

冬は暖かく、夏は涼しくお客様を出迎えなさい。


④「花は野の花の様に生け、」

飾る花は元々の美しさ生かしなさい。


⑤「刻限は早めに、」

時間に余裕を持って早めに行動しなさい。


⑥「降らずとも雨の用意、」

雨が降っていなくても傘を持って、常に不慮の事態に備えなさい。


⑦「相客に心せよ。」

特定の人だけに気を配るのではなく、同席している全ての人を思いやりなさい。





「師匠様、それくらいは存じています」


と、弟子は言いましたが、



利休は、

「もしそれが十分にできましたら、私はあなたのお弟子になりましょう」


と返しました。


(ソクラテスの問答みたい。笑)



当たり前のことこそが最も難しい


という教えでもあるようですね^^





忙しい日常を抜け出し、ゆっくりとお茶を飲む時、

『利休七則』のことをふと思い出してみると、

忘れかけていた何に気付けるかもしれませんね^^


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お茶の清寿園

日本茶には喉の渇きを潤すだけでなく、味わい深いうま味や香りが詰まっており、飲むと心を穏やかに潤す力があります。 清寿園では一人でも多くの人に、日本茶の美味しさ、愉しさ、奥深さを伝えると共に、千利休が作り上げた「詫び茶」の世界観を象徴する「市中山居」という言葉のように、お茶を飲むことで、たとえ街の喧騒の中にいても心が落ち着き、山の中にいるような静けさをご提供できるよう、日々精進していきたい

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