『正喜撰』にまつわるお話


”泰平の眠りを覚ます正喜撰たった四杯で夜も眠れず”


この狂歌は、1853年の夏にペリーが浦賀に来航した時に黒船の大きさに驚いて詠まれたものです。


正喜撰と蒸気船を掛けて、煎茶四杯で目が覚めるように、四隻の黒船で夜も眠れないほど船が往来していた様子を見て狼狽した幕府を皮肉ったものです。



大抵どのお茶屋さんにも置いてある『正喜撰』とは一体どんなお茶なのでしょうか٩( ᐛ )و??


平安時代の歌人で六歌仙の一人にも数えられる喜撰法師にゆかりの山である喜撰山(宇治市)付近は、かつて「池尾村喜撰」と呼ばれていました。

(現在は、喜撰山ダムに沈んでしまっております)



この地域で作られたお茶は『喜撰』として売られ、


「煎茶は喜撰に限る」と言われるくらいに全国的にも高い評価を受けました。



ところが、名が通るほどに粗悪な喜撰が出回るようになりました。


それに困らされた茶農家は、

まがい物に対抗して、”正真正銘の上級の喜撰”である「正喜撰」を売り出しました!!


こうして正喜撰は高級煎茶の代名詞となりました^^



その後、時代の流れに伴い茶価の上昇により、茶商によって上付け下切りが行われるようになりました。


つまり、

高級茶を作り、安いお茶は切り捨てられるようになりました。


そのため正喜撰は、

普段使いとしてよく好まれる中級品として売られるようになりました。




因みに現在宇治市内では、ほとんど煎茶の栽培が行われておりません。

静岡や鹿児島などの大規模産地との競争に勝てず、


抹茶と玉露といった高級茶の栽培へ特化していきました。



清寿園では、煎茶は静岡の島田、抹茶は宇治

といった形で商品を取り揃えております^^



こちらもよろしく願いします٩( 'ω' )و

Facebook 】 【Twitter】 【アメブロ 】

お茶の清寿園

日本茶には喉の渇きを潤すだけでなく、味わい深いうま味や香りが詰まっており、飲むと心を穏やかに潤す力があります。 清寿園では一人でも多くの人に、日本茶の美味しさ、愉しさ、奥深さを伝えると共に、千利休が作り上げた「詫び茶」の世界観を象徴する「市中山居」という言葉のように、お茶を飲むことで、たとえ街の喧騒の中にいても心が落ち着き、山の中にいるような静けさをご提供できるよう、日々精進していきたい

0コメント

  • 1000 / 1000