少し前のブログ(「千利休の生涯と『利休七則』 〜前編〜」「後編」)で
利休に生涯ついてのお話をさせて頂きました。
今回は、「利休の後継者」についてお話していこうと思います٩( 'ω' )و
利休の死後、千家は利休の孫の宗旦の息子3人によって、
表千家・裏千家・武者小路千家の3系統に別れました。
表千家には不審庵(ふしんあん)、裏千家には(こんにちあん)、武者小路千家には(かんきゅうあん)
という代表的な茶室があり、それぞれの流派の象徴になっています。
また、利休の高弟七人は「利休七哲(りきゅうしちてつ)」と呼ばれました。
その中の1人、大名茶人の古田織部(重然)は、
利休の茶道を継承しつつも、自由で独特の美意識を発揮して武家風の茶道を発展させ、
茶器製作・建築・庭園作庭などにわたって「織部好み」と呼ばれ大流行しました!
利休と同じように幕府影響を与える人物で、
徳川二代将軍・秀忠の茶の湯の指南役にも抜擢されていていました。
また、司馬遼太郎は織部について
「世界の造形芸術史の中で、今日でいう前衛精神をもった最初の人物ではないかとおもう」
とその芸術志向を評しています^^
⬇︎古田織部
古田織部の後を継いだ小堀遠州(正一)も徳川家の茶道指南役となりました。
遠州は、生涯に400回以上の茶会を開きました🍵
招かれた人々は大名・公家・旗本・町人などあらゆる階層で延べ人数は2000人に及びました😳
また、書画、和歌にもすぐれ、王朝文化の理念と茶道を結びつけ、
その優雅で洗練された茶風は「綺麗さび」と呼ばれました。
二条城、名古屋城などの建築・造園にも才能を発揮したそうです!
⬇︎小堀遠州
今回は安土桃山時代のお話だったので、
次回は江戸時代のことを取り上げていきたいと思います٩( 'ω' )و
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