緑茶の「ビタミンC」は熱に強い!!ビタミンCといえば、 血行を良くしたり、肌環境を整えたり、風邪予防に効果があったりと何かと体に良い作用をもたらす成分です。 フルーツや野菜に多く含まれているというイメージが強いですが、お茶にもたくさんのビタミンCが含まれています(^^)! というのはご存知の方も多いのではないかと思いますが、ビタミンCといえば 熱に弱いという性質があり、野菜を加熱調理してしまうとビタミンCが壊れてしまいます。 ただ、お茶に含まれているビタミンCは熱に強くお湯で出したお茶でもビタミンCは壊れないまま残っています(^^)/その理由は、浸出液中のカテキン類のエピガロカテキンガレート(EGEg)、エピカ...29Jul2017その他のトピックス
昭和初期から現代 〜喫茶文化の変容〜先日のブログ、『明治から昭和初期〜茶生産の拡大と輸出〜(後編)』の続きです😊明治時代に日本茶の輸出が盛んになり、1905年(明治38年)、静岡の清水港からの輸出が始まりました!ここまでが、前回の内容です。その後、太平洋戦争に突入すると、食糧増産で茶園が麦などの生産に振り返られたり、労働力不足によって生産力が低下したことが原因で、緑茶、紅茶共に輸出量が激減しましたが、戦後、1951年のサンフランシスコ講和会議によって独立を果たすと民間貿易が認められ、緑茶、紅茶が中東やアフリカへ大量に輸出されるようになりました。また、景気が上向きになると国内需要も高まり、茶の生産量は1975年(昭和50)にピークを迎えました( ´ ▽ ` )ノ(この...27Jul2017お茶の歴史
「抹茶」「粉茶」「粉末茶」の違い先日、粉末茶が動脈硬化予防に効果がある!という内容のTV番組が放送されていましたが(実は見ていない。笑)私、普段、毎週録画している番組以外はあまりTVを見ないのです😂緑茶に含まれている成分は、水溶性成分は約30%なので、残りの70%は茶葉に残ったまま!!粉末茶は茶葉を粉末状にしたものなので不溶性成分まで全部摂れる!というのが粉末茶のメリットです( ´ ▽ ` )ノところで、、、見た目が粉末茶と似たものに、「抹茶」や「粉茶」があります。なんとなくわかるけど…以外と知らない方も多いかと思います。そこで今日は「抹茶」「粉茶」「粉末茶」この3つの違いを簡単に解説していきたいと思います( ´ ▽ ` )ノ抹茶の原料は、碾茶という玉露やかぶせ...26Jul2017その他のトピックス
明治から昭和初期〜茶生産の拡大と輸出〜(後編)昨日の(『明治から昭和初期〜茶生産の拡大と輸出〜(前編)』)の続きです!〜前回のおさらい〜「贋茶輸入禁止条例」がアメリカで制定された翌年、日本は「茶業組合準則」を制定し、茶生産者に組合加入を義務付けました!そして、不正茶の製造を禁止して、各地に取締所を設置しました! これによって全国で一斉に茶業組合が結成されました٩( 'ω' )وその後、茶業が盛んな地域から茶業史が刊行され、地域の茶業の歴史や生産・取引の実態を知る上で貴重な文献になりました!お茶の重要性が認識されると共に、政府は茶業そのものに対する研究・指導の拠点として1896年に製茶試験所を設置。これが、現在の国立研究開発法人農業・食品産業技術研究機構(農...24Jul2017お茶の歴史
明治から昭和初期〜茶生産の拡大と輸出〜(前編)1853年のペリー来航により、日本の茶産業は大きな影響を受けることになりました!ペリーが開港を迫った目的は、北太平洋における捕鯨の補給基地を確保する為だったと言われています。しかし、実際に日本との交易が始まると、生糸とお茶が最大の輸出品になりました!お茶の輸出拠点になったのは横浜港でした。開港に伴い、外国商館に建設地が割り当てられ多くの西洋建築が立ち並びました。日本の茶商も横浜に出店を開いてお茶の売り込みを図りました^^各産地から横浜に集められた荒茶は、波止場近くに設けられた再製工場で火入れされ積み出され、その工場は「お茶場」と呼ばれました!!23Jul2017お茶の歴史
江戸時代の茶文化〜煎茶の登場と発展〜昨日の記事『利休の後継者たち』は安土桃山時代のお話。今日の内容は、江戸時代です。千利休が大成させた茶の湯は、家元制度の確立により武家や町人によって支えられていきました。江戸時代の茶人として有名なのが、松江藩主の松平不昧(ふまい)、彦根藩主の井伊直弼。各地の城下町においても茶の湯が流行し、それに伴い、茶会で使われる菓子なども多く作られ、この頃に多くの伝統文化が形成されていきました^^その一方、煎茶を好む文人たちによって抹茶に拘らない新しい茶文化も発展していきました。江戸時代初期、日本の茶文化に新しい要素加えたのが、黄檗宗(おうばくそう)を伝えた隠元(いんげん)です。21Jul2017お茶の歴史
利休の後継者たち少し前のブログ(「千利休の生涯と『利休七則』 〜前編〜」「後編」)で利休に生涯ついてのお話をさせて頂きました。今回は、「利休の後継者」についてお話していこうと思います٩( 'ω' )و利休の死後、千家は利休の孫の宗旦の息子3人によって、表千家・裏千家・武者小路千家の3系統に別れました。表千家には不審庵(ふしんあん)、裏千家には(こんにちあん)、武者小路千家には(かんきゅうあん)という代表的な茶室があり、それぞれの流派の象徴になっています。また、利休の高弟七人は「利休七哲(りきゅうしちてつ)」と呼ばれました。その中の1人、大名茶人の古田織部(重然)は、利休の茶道を継承しつつも、自由で独特の美意識を発揮して武家風の茶道を発展させ、茶器製...20Jul2017お茶の歴史
日本でお茶が飲まれるようになったのはいつ?前々回のブログ(「 茶の歴史〜世界最古のお茶は2100年前!?〜」)でお話させて頂いたように、お茶のルーツが中国西南部であることが分かっていますが、今回は、「日本でお茶が飲まれるようになったのはいつ?」ということをお話していきたいと思います٩( 'ω' )و19Jul2017お茶の歴史
水出し煎茶の美味しい作り方をおさらいしましょう٩( 'ω' )و先日、母親から「水出しにオススメのお茶買ってきて!」と頼まれたので、100g=900円の清寿園の『柴舟』を買って実家に持って行きました!しかし、実家で作っていた水出し煎茶は、1晩かけて抽出させていたにも関わらず、、、とっても薄いのです(´・_・`)笑なぜ、薄かったのかというと、茶葉の量が少なすぎるのです(´・_・`)/水出し煎茶に適している甘み、旨み成分の多く含む上級茶を使っているので、「たくさん使うのが勿体無い」という気持ちは分かるのですが、いいお茶の良さが存分に味わえない淹れ方もかなり勿体無いのです(´・_・`)/17Jul2017お茶の淹れ方(作ってみた)
茶の歴史〜世界最古のお茶は2100年前!?〜今からちょうど程一年前に、中国の陝西省西安市で発掘された茶葉が、世界最古の茶葉であるとギネス世界記録に認定されました!これが見つかったのは、中国・西安の近くにあるお墓で、中国の科学者たちによる研究チームが、お墓の中で小さな植物の固まりを発見して分析したところ、2100年前の紀元前1世紀ごろに摘み取られたお茶の葉だと判明したそうです😳⬇︎それがこちら16Jul2017お茶の歴史